北原怜子関連エントリー

2008年12月6日 土曜日 北原怜子さん

北原怜子さん 小さい頃から彼女の名前は知っていましたが、少しく詳しく知ったのはネットからで、移植入院中ちょうど無菌室でした。その後書籍を買って、読みました。 いつまでも忘れられずに、彼女に関する情報がネットの中に残って ...

2008年12月6日 土曜日 北原怜子さん

蟻の町のマリア - 北原怜子 -

今日1月23日は 北原怜子さん (リンク先はカトリック報恩寺教会へようこそ)が帰天された日です。 Wikipedia によると 裕福な大学教授の令嬢であったが、キリスト教に帰依し、ゼノ・ゼブロフスキー修道士(ゼノ神父として知られる)と知り合い ...

蟻の町のマリア - 北原怜子 -

北原怜子の回心 - 蟻の街の子供たち その2 -

... 回心が何度も経験できるものであるとするなら、北原怜子さんは、 ゼノ修道士 と松居桃楼さんを通して、4度の回心をしています。 北原怜子さんは大学教授のお嬢様でしたが、人生とは何なのか、 メルセス会 のシスターに教えを請い ...

北原怜子の回心 - 蟻の街の子供たち その2 -

運命のモンテンルパ(後編)

... あの、故郷を何気なく散歩した日から始まった、北原怜子を巡る旅は、海を越えて、ひとまず完結と言ったところ。最後は、靖国の問題に共通するような話や、死刑に関する事など、最近興味を持っている事項にも関連したものとなり ...

運命のモンテンルパ(後編)

運命のモンテンルパ(前編)

... ずっと書いているように、私は、 北原怜子 を尊敬しています。 彼女や、彼女が面倒を見ていた子供達の書簡などをまとめた本“ 蟻の街の子供たち ”の一節に、異国の地フィリピンのモンテンルパに戦犯として収監されていた人々からも励ましの手紙が届いたと ...

運命のモンテンルパ(前編)

北原怜子とは?

『蟻の町のマリア』より : 蟻の町のマリア(ありのまちのまりあ)とは1950年代東京都台東区で、キリスト教に基づき献身的な活動を展開した・北原怜子(きたはらさとこ、1929年 - 1958年)のニックネームである。
彼女は裕福な大学教授の家の令嬢であったが、キリスト教に帰依し、ゼノ・ゼブロフスキー修道士(ゼノ神父として知られる)と知り合い、ゴミ拾いをしながら、それで得た資金で東京都江東区の隅田川の言問橋周辺、現在の墨田公園の界隈にあった通称「蟻の町」で奉仕活動を行った。始めは良家の令嬢の気まぐれボランティアと解され周囲の冷たい視線を受けたが、やがて彼女の真摯な姿勢が認められ、支持者が増えていったが、1958年、29歳で死亡した。墓所は多磨霊園にある。

北原怜子の詳細